最高裁判所第一小法廷 平成4年(オ)1011号 判決 1996年3月28日
上告人
柳沢正
同
福田民雄
同
坂庭稔
同
田淵勝美
同
近江利幸
同
大井一幸
同
柳井剛
同
金子洋
同
丸山忠伸
旧姓南雲
同
岡田浩幸
右一〇名訴訟代理人弁護士
白井巧一
若月家光
角田義一
出牛徹郎
内藤隆
山田謙治
松本淳
采女英幸
藤倉眞
嶋田久夫
森井利和
被上告人
東日本旅客鉄道株式会社
右代表者代表取締役
松田昌士
右訴訟代理人弁護士
西迪雄
鵜澤秀行
中村勲
向井千杉
富田美栄子
主文
原判決中、上告人柳沢正の被上告人に対する損害賠償請求に関する部分を破棄し、右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
上告人柳沢正のその余の上告及びその余の上告人らの各上告をいずれも棄却する。
前項の部分に関する訴訟費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人白井巧一、同若月家光の上告理由第一について
原審の適法に確定した事実関係の下において、本件訓告又は厳重注意の無効確認を求める訴えの利益は認められないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。
同第二について
一 原審の確定したところによれば、被上告人は、上告人柳沢正に対し、国鉄労働組合の分会に所属する組合員らと共に団体交渉を求めて被上告人の高崎運行部高崎運転所の事務室内に無断で立ち入り、助役による再三にわたる退去通告にも従わなかったことを理由として、高崎運行部長名で厳重注意の措置を執ったというのであり、上告人柳沢は、右事務室内立入り等(以下「本件行為」という。)に加わっていなかったにもかかわらず右厳重注意を受けたことにより多大の精神的苦痛を被ったと主張して、被上告人に対し不法行為に基づく損害賠償を求めている。
原審は、上告人柳沢が本件行為に参加しなかったとする証拠と同人が本件行為に参加したのを現認したとの助役らの証言等とのどちらに信をおくべきかは容易に決め難いものといわなくてはならず、本件証拠関係の下では上告人柳沢が本件行為に参加していなかったとの事実を認定することができないとした上で、上告人柳沢の主張する不法行為は同人が本件行為に参加しなかったとの事実を前提とするものであるところ、右事実を確定し難いのであるから、その余の点につき判断するまでもなく、右不法行為の成立は認められないと判断した。
二 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
原審の確定したところによれば、被上告人における厳重注意は、就業規則等に規定がなく、それ自体としては直接的な法律効果を生じさせるものではないが、実際上、懲戒処分や訓告に至らない更に軽易な措置として、将来を戒めるために発令されているものであり(記録によれば、書面をもって発令されるものであることがうかがわれる。)、人事管理台帳及び社員管理台帳に記載されるものであるというのである。そうすると、本件厳重注意は、企業秩序の維持、回復を目的とする指導監督上の措置と考えられるが、一種の制裁的行為であって、これを受けた者の職場における信用評価を低下させ、名誉感情を害するものとして、その者の法的利益を侵害する性質の行為であると解される。
一般に、使用者は、労働契約関係に基づいて企業秩序維持のために必要な措置を構ずる権能を持ち、他方、従業員は企業秩序を遵守すべき義務を負っているものではあるが、使用者の右権能の行使としての措置であっても、それが従業員の法的利益を侵害する性質を有している場合には、相当な根拠、理由もないままそのような措置を執ってはならないことは当然である。したがって、右のような性質を有する使用者の措置に基づき従業員が損害を被ったという事実があれば、使用者が当該措置を執ったことを相当とすべき根拠事実の存在が証明されるか、又は使用者において右のような事実があると判断したことに相当の理由があると認められるときでなければ、不法行為が成立すると解するのが相当である。
本件厳重注意は、前記のような性質を有するものであるから、上告人柳沢が本件行為に参加したとの事実が証明されない以上、高崎運行部長において上告人柳沢が本件行為に参加したものと判断したことに相当の理由があったかどうかの点について審理判断をしないまま、同人が本件行為に参加したのか参加しなかったのかが不明であることのみを理由に不法行為の成立を否定することは許されないものというべきである。
したがって、右の点について審理判断を尽くすことなく、上告人柳沢の主張する不法行為の成立を否定した前記原審の判断には、法令の解釈適用の誤り、ひいては審理不尽、理由齟齬の違法があり、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は右の趣旨をいうものとして理由があり、その余の点について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。
以上のとおりであるから、原判決のうち、上告人柳沢の被上告人に対する損害賠償請求に関する部分を破棄し、更に審理を尽くさせるため、右部分につき本件を原審に差し戻し、上告人柳沢のその余の上告及びその余の上告人らの各上告をいずれも棄却することとする。
よって、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)
上告代理人白井巧一、同若月家光の上告理由
第一 無効確認の利益について法令違反がある。
一 原判決は、本件処分の無効確認の利益について、「本件の訓告、厳重注意についても、それ自体は過去の行為であるが、それを受けたことに伴う不利益が、現に残存し、あるいは、将来課せられる可能性があり、その無効確認により、右の不利益の回復ないし消滅が客観的にみて当然に期待されると認められるのであれば、その無効確認の訴は確認の利益を肯定して差し支えない。」としたうえ、本件訓告処分、厳重注意処分の不利益性及び無効とした場合の不利益回復性を検討し、その結果、「本件処分の無効を確認してみても、それにより被控訴人(上告人)らの不利益が回復されるものとは認められず、また、今後本件処分によって不利益が課せられる可能性があることを認めることもでき」ないから、「本件処分の無効確認を求める利益があることを首肯することができず、結局、本件処分の無効確認の訴えは、確認の利益を欠くものとして、不適法」とした。
しかし、右結論に至った原審の判断には誤りがある。
二 不利益の回復ないし消滅について
1 原判決は、訓告処分はもちろんのこと厳重注意処分についても、実際の取扱いにおいて期末手当、昇給においてマイナス要因とされている事実を肯定している。これは、上告人らの勤務成績を評価するにあたって、他の処分だけでは「勤務成績が特に良好でない者」「勤務成績が良好でない者」(甲第一号証の二)には直接該当しない者であっても、本件処分を考慮したうえ期末手当、昇給において減額されたことを肯定したものにほかならない。
ところが原判決は、上告人らは本件処分以外にも処分を受けているから、本件処分の無効を確認しても、その不利益が「当然には」あるいは「直ちに」解消されることが期待されるとは認められないから、無効確認の利益がないと結論づけている。
2 しかし、「人事考課」というチャンネルを通して、本件処分をマイナス要因としてはじめて期末手当、昇給について不利益が課せられたのであるから、本件処分が無効とされたなら、上告人らの不利益は、就業規則や賃金規程上明記されていなくても「当然に」かつ「直ちに」解消されて然るべきものであり、原判決には理由のそごという法令違反がある。不利益が「当然に」かつ「直ちに」解消されるべきものが、被上告人の怠慢によって放置されることを容認することは著しく正義に反すると言わなければならない。
3 また、原判決の「不利益の回復ないし消滅が客観的にみて当然に期待される」と言うのが、就業規則や賃金規程上明記されている場合に限定する趣旨であるのなら、これは無効確認の利益についての解釈を誤った法令違反がある。なぜなら、この解釈であるのなら、「人事考課」というチャンネルを通した場合は全てこれに該当しないことになり、著しく正義に反するからである。
「人事考課」を理由とすれば、形式上はいかようにも弁明できるものであり、原判決もこの「人事考課」によって上告人らが不利益を受けたことを肯定しておきながら、この不利益の回復ないし消滅については「人事考課」の実態に目を反らしたのは不可解というほかない。
三 不利益の時間的制約について
1 原判決は「勤務成績等が、期末手当、昇給に及ぼす影響は、当該の期末手当、昇給限りのものであるから、少なくとも昭和六三年四月以降は、本件処分が存在することによって期末手当の減額、昇給の減といった不利益を受けることはあり得ない。」と判示するが、昇給減については、経験則違反もしくは理由不備の法令違反がある。
2 確かに、「昇給減」という新たな不利益は当該年度限りのものであるが、いったん「昇給減」という不利益を受けると、その不利益は退職するまで継続するという事実を、原判決は無視している。すなわち、昇給は前年度の号俸を基準にするから、もし前年度に号俸減になっていれば、その号俸減の効果が次年度以降にもそのまま継続することは明らかである。
四 将来における不利益について
1 原判決は、「人事管理台帳等に本件処分が記載されているということも、そのことだけでは、被控訴人(上告人)らが本件処分を受けたこと自体が将来の人事考課において、影響を与えるかどうか、与えるとしてそれが法的に意味のあるものかどうか等といったことを、到底確認することができない。」と判示するが、この判断は明らかに経験則に反する。
2 「人事考課」においては、当該年度だけでなく、過去の勤務成績等も考慮されてなされていることは社会通念上明らかであり、だからこそ被上告人会社においても昭和五八年四月から人事管理台帳(甲第一三八号証)及び社員管理台帳(甲第一四〇号証の一、二)の昇給関係及び賞罰欄に訓告・厳重注意処分も含めて記載されているのである。こうした過去の昇給、賞罰を記載した人事管理台帳等を保存していること自体が、現在及び将来の勤務成績を総合的に判断するために過去の賞罰・昇給関係が有力な一資料とされていることの証左である。従って、「昇進等の人事考課上の資料となる人事管理台帳には、本件処分が記載されていると認められることを考えると、本件処分を受けたという事実自体が、当該年度だけでなく、将来における人事考課においても、何らかの影響を与えると考えるのが合理的である。」とする第一審判決が支持されるべきである。
第二 不法行為の成否について
一 証拠の評価を誤り、自由心証主義を逸脱した経験則違反・法令違反がある。
1 原判決は上告人柳沢正が本件行為に参加していたか否かの判断に当り、上告人側の主張を裏付ける証拠及び被上告人側の主張を裏付ける証拠のそれぞれの信用性について検討し、「どちらに信を措くべきかは、容易には決め難い」と判示している。
しかし、右結論に至った原審の判断には誤りがある。
2 上告人主張事実を基礎付ける証拠の評価について
(一) 原判決は、上告人柳沢の供述は当時の事態の経過を分単位で説明しており、詳細に過ぎ、却ってその信用性に疑問を生じさせる余地がある、と判示する。
(1) しかし、上告人柳沢は横川〜高崎間は電車で、高崎駅から職場まではバスを利用して毎日通勤している(バスの定期代が被上告人会社から支給されている)。
一七時〇八分は毎日の勤務終了時刻(柳沢本人調書六丁裏)、一七時五三分は毎日利用しているバスの時刻(同)、従って、四〇分ころ勤務場所を徒歩で出発したこと、四七分ころバス停に着いたことは毎日の生活に組み込まれている行動である。一八時ころにバスに乗ったという点は遅れて来たバスであるから時刻を認識しているのは極めて自然であり、バス停から高崎駅西口までの所要時間は日常の経験から一〇分位であるから一八時一二分ころ着いたと主張することは自然である(同七丁)。また、会議が一八時三〇分から開かれることになっていたのであるから一八時二五分ころに国鉄労働会館に着いたとの点も自然である。
(2) 原判決は詳細過ぎるから信用性に疑問の余地があるという。しかし、裁判官は自らの記憶喚起の方法をふり返ってみるがいい。過去の自分の行動を思い出す時、自分の毎日の行動を基準にして個々具体的な行動の時刻を思い出そうとするであろう。上告人柳沢の供述は毎日の不動の時刻を基準にして記憶を喚起したものであるから分単位で説明することは何ら不自然でない。
「詳細すぎて疑問」というのなら具体的にどの点が疑問なのか明らかにすべきである。「詳細過ぎて疑問の余地がある」といいつつ「その点はともかく」などと逃げの姿勢をとっていることは本判決を書くに際しての裁判官の上告人らに対する基本的スタンスを窺わせる。
仮りに上告人柳沢の当日の行動経過が大雑把にしか法廷に現われていないとすれば原判決は「当日の行動経過が曖昧であり信用性に疑問がある」とでもするのであろう。
(二) 原判決は(イ)仮に自動車等を利用するとし、(ロ)常任委員会の開催時刻が若干遅れたなどといった事態が想定できるとすれば、上告人柳沢が本件行為と常任委員会の両方に出席することが全く不可能というわけではない、と判示する。
(1) しかし、右は全く証拠に基づかない空論である。上告人柳沢は高崎駅から勤務場所まではバス通勤であり、本件当日に限り自動車通勤をしたということはありえないし、その他「自動車等」を利用したという証拠は全く存在しない。
(2) また、原判決のいう「若干遅れた」という内容がどの程度の遅れを意味するのか不明だが、常任委員会は予定通り一八時三〇分ころに始まっているのである。「一八時二五分ころ国鉄労働会館に着くと常任委員は山本を除き皆そろっていたのですぐ会議は始まった」(甲一〇三、甲一一六の四頁)、「会議が始まったのは一八時三〇分頃」(柳沢調書一〇丁)だったのである。
(3) 原判決は証拠に基づかない(イ)及び(ロ)の事実を二重に仮定しその仮定を前提としたうえで「全く不可能というわけではない」と結論付けている。かような判断過程(方法)は刑事裁判においてえん罪を生み出す誤った方法としてつとに学者等から手厳しく批判されているところである。かような判断方法が正当とされればいとも簡単に白を黒と結論付けることが可能となる。
(4) 更に原判決は、全く不可能というわけではないということは山本博の行動からも推察できる、と判示している(一五丁カッコ書き)。
① まずここで注意すべきは原審も山本博が本件行為に参加していたことを認定している事実である。この点は後に述べ猪瀬助役らの現認の不正確性を裏付ける(猪瀬らは山本博は本件行為に参加していないと主張している)。
② ところで、山本博が本件行為に参加した後、常任委員会に出席したのはバイク通勤のため両方出席が可能だったからである。上告人柳沢は本件行為に必要不可欠な立場にはなく、むしろ常任委員として国鉄労働会館での常任委員会にこそ出席が必要とされていたのである。バス通勤者であり、かつ右の如き立場にあった上告人柳沢がわざわざ自動車等を利用して本件行為に参加し途中で退席して常任委員会に出席したなど到底考えられないことである。
なお、原判決が、上告人柳沢が常任委員会に出席していた事実自体は認めており、この点は留意されるべきである。
(三) 原判決は上告人柳沢が処分発令日に現認者と現認時間を聞いただけで異議を述べていないのは合理性を欠く、と判示している。
しかし、右の如く判示する裁判官には労働組合という組織に属している個人が対立関係にある使用者に対して一定の行動をとる場合の行動原理が理解されていない。裁判官が自らも経験する一般市民の行動原理という常識でしか判断できていない限界がある。
不在者が処分されるのは初めてのケースであり、上告人らはどう対処していいか判断に迷ったため(柳沢調書一三丁)とりあえずその場にいた先輩に相談した結果、現認者と現認時間を確認することになったものである。原判決は積極的に「異議」を述べなかったのは不合理だというが、現認者・現認時間を確認するということは「不在」だったがためであり、いわば消極的な「異議」である。積極的な行動をとることは組織の一員として組合の指示なくして行なうことはできないが、消極的な行動(現認者と現認時間の確認)は可能であり、また今後の対応策を検討するうえでも必要なことである。
原判決が積極的に「異議」を述べなかったことは合理性を欠く、と判断したことの方が不合理である。なお、上告人柳沢は処分通知を受取る際「納得できませんがとりあえず受取ります」と述べている(甲一一六の七頁、甲一〇三の二)。
3 被上告人主張事実を基礎付ける証拠の評価について
原判決は「本件行為の参加者一人一人の現認は容易でなかったと一応は推認され得る。」といいながら結論としては「被控訴人らの現認が可能であったと認められ」「柳沢の参加は、両助役が共に確信しているところである」と判示している。
しかし、助役らの現認は極めて不正確なものである。
(一) 原判決自体山本博は本件行為に出席したと認定しており(一五丁カッコ書)当日の写真にも山本博は写っている(甲八六の②左手前の人物)。
ところが(イ)助役らは山本博を現認しておらず、(ロ)山崎助役は途中で帰った人はいないと証言している(山崎調書一七丁)。上告人らと主として対応したのは猪瀬助役であり、山崎助役は猪瀬助役に比べれば余裕があったはずである。その山崎にして「途中で帰った人はいない」と事実に反する認識をしているのであるから両助役の現認がいかに不正確であったかが明らかである。
なお、原判決は助役の証言を根拠に上告人柳沢は本件行為に参加し途中で退席して常任委員会に出席した可能性を否定できないとするものであるが、そうとすれば途中退席者は山本博・柳沢正の二名となり、二名も中途退席者がいたにもかかわらず「中途退席者なし」とする山崎助役の現認は増々不正確さを露呈することになる。そして、かような不正確な現認を重視する原判決の信頼性も失われることとなる。
(二) 本件行為に参加したのは被上告人側の主張する一三名ではなく一七名である。山本博が本件行為に参加していることは証拠上認められるところであり(甲八六)、参加人数の点からも助役の現認が不正確であることが明らかである。
なお、原判決は「争いのない事実によると、本件行為は、被控訴人福田ら一〇数名の者によって」と判示している(一六丁)。助役が現認したという一三名よりも多い参加者であったことを原判決自体認めているのである。
本件現場でのやりとりの状況からすれば両助役は上告人福田・同坂庭らの対応に手一杯であったはずであり、参加者を正確に確認する余裕などなかったはずである。
(三) 原判決も認めるように助役らは「参加者を一三名であると現認しながら一名の氏名について一致しなかった」というのであるから現認は不正確である。
(四) なお、乙六一・六二は控訴審の最後の弁論期日に提出されたものである。
4 以上のとおり、原判決は上告人側の証拠については「かなり信憑性があるとも考えられないではない」としつつ、こじつけにも等しい理由付けでその信用性を減殺し、他方、被上告人側の証拠(要するに両助役の現認)については「参加者一人一人の現認は容易ではなかったと一応は推認され得る」としつつ特段の理由もなく「柳沢の本件行為への参加についての右認定は、これを直ちに信用できないと断定することはできない」と結論付けている。
目撃証人の危険性についてはつとに指摘されているところであるが、被上告人の主張は目撃(現認)の証言のみが根拠であり、他方、上告人の主張は常任委員会への出席、バスの時刻等客観的証拠をふまえたものであり、どちらの証拠に信用力があるかは明らかである。決して「どちらに信を措くべきかは、容易には決め難い」などという証拠状況ではない。
原判決の判断は「はじめに結論ありき」としか考えられない。
二 原判決には立証責任の分配を誤った法令違反がある。
1 原判決は「被控訴人側の主張を裏付ける証拠と控訴人側の主張を裏付ける証拠とのどちらに信を措くべきかは容易には決め難い」ので「被控訴人柳沢が本件行為に参加していなかったとの事実を認定することができない」。従って「参加しなかったとの事実を前提とする不法行為の成立は認められない」と結論付ける。
即ち、上告人柳沢が、「参加しなかった」のに処分されたのだから不法行為が成立すると主張したのに対し、原判決は「参加しなかった」ことの立証責任は上告側にあり、参加の有無が証拠によりどちらとも確定できないのだから「参加していなかったとの事実は認定できない」とするものである。
2 しかし、処分の有効・無効を判断する場合には「処分者」に「処分理由の存在」につき立証責任があるというべきである。なぜならば、処分は被処分者に一定の不利益を課することになるから、それを正当とする理由の存在が証明される必要があるからである(そうでなければ処分者は何も理由なく処分を濫発することが可能となる)。
本件は処分理由の有無(参加の有無)が争点になっているのであるから処分者である被上告人に「処分理由の存在=柳沢の参加の事実」につき立証責任があると考えるべきである。
従って、仮りに柳沢の参加の有無がいずれとも決め難い場合には立証責任がある被上告人がその不利益を負担することとなり「柳沢が参加していたとの事実を認定することができない=処分理由が存在していたとはいえない」と結論付けられるべきであり、処分理由が存在しないのに処分をした違法行為に対し不法行為の成立が認められるべきである。